はじめに読んでください

『カルロス・フェルナンデス小学校』との出会い

(正式名称:Escuela Básica N° 242 Cnel. Carlos J. Fernández de Chaco’i)

 2018.10.15(パラグアイ時間)朝8時過ぎ、友人である BOATbuilder ジョンらの案内で、パラグアイのチャコイにあるカルロス・J・フェルナンデス小学校を訪問しました。(正式名称ではスペイン語でベーシックスクールとなっていますが、この記事では便宜上「小学校」としています)

 学校とジョンのボート工場は直線距離で800メートル程と距離が近いこともあり、両者の間ではこれまでもよく交流が行われてきました。(学校と工場をつなぐ道は1.7kmほど。舗装されていない悪路ゆえに車が速く走れないことから実際の距離以上に移動時間がかかる)

 実は、学校を訪問した10月15日はパラグアイの祝日で学校は休みだったのですが、校長他教員そして生徒の一部とその家族が我々を出迎えてくれました。

 下写真は、校長先生:マルセリーナ・イアノア・ド・フェルナンデスさん

 エントランスの黄色い壁には「学校へようこそ」と青緑の文字で書かれています。スペイン語と自分たちの先住民の言葉の両方が向かい合う壁に書かれていました。

 記念写真をスペイン語の前で撮ろうとしたら「ぜひこちらの前でも撮って欲しい、私たちの言葉だから」とマルセリーナ校長は言いました。彼らが独自の文化をとても大切にしていることがわかりました。

 この小学校は、生徒数150人、教職員20人。

 生徒の中から体育が得意そうな女子2人が、アクロバティックな体操技を披露してくれました。マルセリーナ校長はいつも何かしらの催しを準備して歓迎してくれます。

 また、校長は、我々の中から今月誕生日の人を前に呼んで、ハッピーバースデーのうたを歌ってくれました。ジョンも10月生まれであり、照れくさそうに皆からの祝福を受けました。

 我々からは生徒たちへのささやかなプレゼントと、学校に対しての最低2100米ドルの寄付の目録をマルセリーナ校長にお渡ししました。

 寄付金には10/27,28にジョンの工場敷地内で開催されるオーシャンファミリーフェスティバル2018の収益からも配分される計画です。

 パラグアイがまだ発展途上の国であることは、この小学校によく表れています。

 我々が訪れるたびにマルセリーナ校長は「学校の施設の修繕に力を貸して欲しい」と懇願されます。

 壊れたままで修繕がされない照明器具、修繕されない教室の割れたままの窓ガラス・・・ジョンの工場にほど近いこの小学校も川の水位が上がると洪水に飲まれて校舎が破壊されるのです。

 自分の子供の教室の窓が割れたままだったら、自分はどらくらいの期間我慢できるだろうか。と、考えさせられます。

 この学校の周辺のチャコイ地域には、学校に通えない子供がたくさんいるそうです。
 通えない理由は「上履きが買えない」「着て行く服が買えない」という事だと言います。

 一足の靴で未来が変わってしまうのか!? 
 彼らを何とかしてあげたい思いがこみ上げてきます。

 アットホームな出迎えのセレモニーが終わり、マルセリーナ校長が学校の敷地内を案内。

 建設途中でストップしてしまったトイレがありました。

 政権が代わり方針が変わって予算がカットされ建設が止まってしまったらしい。

 トイレがなくて子供たちは日々どうしているのでしょう・・・。

 運動場のような敷地の真ん中には旅客機の胴体の残骸が横たわっています。

 かつての大統領も乗った機体だそうで、この機体を使った図書館を作るのが校長の夢です。

 図書館は、学校の子供だけではなく、周辺の子供が誰でも使えるようにして、インターネットに繋がったパソコンを複数台置き、子供達がいろいろなことを調べたり学んだりすることができる施設にしたいと、校長は語ります。

 以前この学校を訪れた時、校長が話してくれました。
 「この地域では子供たちが夢を持てない」。

 子供たちに将来の夢を語らせると「携帯電話を持つ事」「家を建てる事」そんな内容が出てくるというのです。

 サッカー選手になったり、飛行機のパイロットになったり、何かの技術者、Youtuber(ユーチューバー)になるというような夢は出てきません。

 「あまりにも世の中の情報が入ってこないからだ」と、校長は語ります。

 この地域の子供達は、テレビも見ることができていないのだろうか・・・。

 それゆえ校長は、私などが一眼レフのカメラを複数台持って、パシャパシャと写真を撮りながら、知らない言語を話していると、それだけで子供たちの刺激になるのでありがたいのだと、言ってくれます。


 最後に、マルセリーナ校長が子供たちの肩を抱き抱えながら、もう一度支援を訴えかけました。

 この後、保護者たちが集まり、校舎補修の為の援助を求める集会をするのだそうですが、校長は「そこで支援が集まる事はないだろう」と諦めていました。この地域はそれだけ貧しいのです。


 我々は記念写真を撮り、マルセリーナ校長とハグをして、学校を後にしました。

Action

 この日、学校を去りながら私は考えました・・・

 学校の修復を支援する活動は、ささやかながら子供たちの夢、子供たちの未来を作り出す支援になる。こんなにやりがいがあり、分かりやすい活動はないのだろう。

 豊かなのに希望が持てない日本と違い、パラグアイではやるべき事が明解だ。

 その明解なことをやらないから、私たちの国日本の子供は訳の分からない複雑な悩みを抱えるようになったのではないか、とも思った。

 また、こうも思った。

 日本に帰り「地軸の反対側の国で、上履き代がなくて学校に通えない子供がいる。上履き代を支援してくれないだろうか!」と話して、果たして支援を断る人がいるだろうか。
 私の友人にはそんな人間は一人も居ないだろうなと。

 そして、この学校の割れたガラス、この子供たちの夢には、一体誰が責任を持つべきなんだろうかと考えた。この街の町長か? パラグアイの大統領か? 米国やロシアの大統領、国連総長なのだろうか? と。

 いや違うな、自分がやらなければいけないのだな。だからここへ来たのだ。

 神様から「お前ならなんとしてくれるのではないかと思って、お前を連れてきたんだよ」そう言われた氣がするのだ。


 その為には第一に、素早く上履きや窓ガラスの支援金を集めてパラグアイに送り、子供たちに上履きや窓ガラスを提供して、子供たちとあの愛すべき恰幅のよいマルセリーナ校長が喜ぶ姿を見ることだと思う。
 次に、そのパラグアイの喜ぶ様子を日本に報告する。彼らが喜ぶ姿を見て、日本で支援した人たちもちょっとした充実感を味わい、さあ次に私たちが何をすべきかを、語るタイミングがやってくる。

 それで、何から始めるか考えて、とりえずこのホームページを作ってみたのです。

 上履きや窓ガラスの為の最初の支援を集める際にも、しっかりとした支援金管理の「受け皿」が必要です。

 幾らのお金が集まりそれが1円1銭までどの様に使われるかを明示するシステムが必要です。

 そんな仕組みを即作らなければならない。ならば、それをつくろう。

 プロジェクトの動画なんかも。動画は、私が人よりちょっと得意な分野です。

NAMING

 活動を開始するなら名前が必要だと思いました。

 このプロジェクトは、子供たちの飛翔をイメージして『ペガサス作戦』と命名しようか、と最初は思いました。

 でも、ちょっと彼の地のイメージには合わないかなと思い直し・・・

 チャコイの地は、アクアムンドの工場周辺も含めて雨が降れば粘土質のぬかるみになり、晴れればそれが乾いてデコボコの道になる。今は、雨靴(長靴)が必須の場所です。

 だからチャコイといえば雨靴。
 と、いう事でレインブーツ作戦。

 そして、実は日本とパラグアイは、遠く縄文時代で先祖がつながっている、蒙古斑を持つ仲間なんですね。

 縄文人が、太平洋の島を経由しながら海を渡って、南米の先進文明を築いた。だから、パラグアイの先住民族のグアラニー族も、実は日本の縄文人とつながっているんです。

 そんな、蒙古斑を持つ黄色人種の黄色=「イエロー」のイメージで、ちょっとカラフルにして、イエローレインブーツ作戦(Yellow Rain Boots Operation)。黄色い雨靴作戦。

 と、こんな名前にしてみました。


 チャコイに行く時はレインブーツをお忘れなく。

カルロス・フェルナンデス小学校を支援しよう! と、思ってくださった方、ありがとうございます!!

下記のリンクにある、Yellow R.B.Shopにてアイテムをご購入いただくと、その販売利益がYRBOの活動資金になります。


ぜひご利用いただき、パラグアイの子供達を助ける活動に参加してください!!